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歯科医師:岩本 幸子自己紹介
はじめまして!さいとう矯正歯科クリニックの新メンバー、歯科医師の岩本幸子です。
診療室で「新しい方ですか?」と声をかけて下さった患者様、ありがとうございました。
今回は私の自己紹介をさせて頂きたいと思います。
幼少時代
福岡県浮羽郡(現在:うきは市)という、福岡県と大分県の県境にあり、棚田や温泉が有名なのどかな田舎町に三人姉妹の末っ子として産まれました。両親は三人目は絶対に男の子が欲しかったようで、名前も「直人」と決めていたそうですが、実際に産まれてきたのは女の子でとてもがっかりしたそうです。
父は医師、母は看護士で、私が産まれてまもなく内科を開業しました。両親は仕事が忙しかったため、幼稚園の送り迎えや行事には、いつも祖母が来てくれていました。祖母の背中におんぶされて、幼稚園に通っていたことを今でもよく覚えています。
小学校時代
ピアノ、習字、そろばん、英語、テニスなどいろんな習い事にチャレンジしました。厳密に言うとチャレンジさせられました。しかし、こんな消極的な人間が上達するわけもなく、どれ一つとして初心者の域を脱することはできませんでした。特にピアノは先生がとてもこわくて、通うのが苦痛で仕方ありませんでした。テニスやピアノは今でも時々やる事がありますが、小さい頃にがんばっていれば、もっと上達したのではと今さらながら悔やまれます。子どもの頃に自分の好きな事、やりたい事を見つけられた人はとても幸せだと思います。さいとう矯正の患者様でも、バレエやピアノ、野球など、自分の好きな事を見つけて一生懸命がんばっている方がたくさんいらっしゃいますよね。そんな姿を見ると、とても頼もしく、そしてうらやましく思います。話が少し脱線してしまいましたが、習い事以外にも私を悩ませていたものがあります。それはむし歯です。大変お恥ずかしい話ですが、子どもの頃はむし歯がたくさんあり、近所の歯医者さんによく通っていました。楽しい思い出は何一つないのですが、小学校の卒業文集には「大きくなったら歯医者さんになりたい」と書いていました。(最近気付きました)
中学・高校時代
中学時代は卓球部に所属していました。練習や上下関係が特に厳しいわけでもなく、ゆるい感じの部活だったので、居心地がよかったのを覚えています。特に熱中した記憶もないのですが、郡大会三位という微妙な成績を残しました。勉強は好きでも嫌いでもなく、ごく普通の中学生で、ごく普通の中学時代を過ごしました。
高校は家から少し離れた、女子高に進学しました。毎朝五時半の始発電車に乗り、通学していました。この頃から自分の進路について具体的に考え始め、最初は生物が好きだったので、農学部に入りたいと考えていました。しかし「女性として自立できるように手に職をつけなさい」という両親の勧めもあり、医学部と歯学部を受験することにしました。結果的に合格したのは歯学部だけでしたが、「歯科医は女性に向いているのでは」という父のアドバイスもあり、歯学部に進学することにしました。
大学時代
福岡歯科大学に入学。親元を離れ、姉と二人暮しを始めました。田舎育ちの私にとって、福岡市は刺激的な大都会でした。何が都会って、家の近くにコンビニやファミレスがあるんです。それだけで私にとっての都会の条件を十分にクリアしていました。大学ではよい仲間に恵まれ、充実した毎日を過ごしていました。
大学2年の時、ひょんなことから陶芸部に入部することになりました。最初は完全な幽霊部員で、ほとんど部活に顔を出すこともありませんでした。しかし、もともと佐賀の有田焼が大好きで、毎年ゴールデンウィークに開催される有田の陶器市に、家族で出かけるのが恒例行事になっていた事もあり、徐々に陶芸のおもしろさに目覚めていきました。一時は自宅の食器を全て自分で作ろうと意気込んでいましたが、わりとあっさり挫折しました。
大学5年になると病院実習が始まりました。今までの机の上での勉強とは全く違う歯科の世界に毎日が驚きや戸惑いの連続でした。この頃から、卒業後の進路について考え始め、子どもと関わる仕事がしたいとの思いから、小児歯科か矯正歯科に進もうと考えましたが、矯正歯科学教室には姉が在籍しており、姉妹で同じ医局にいることに少し抵抗を感じた事と、陶芸部で大変お世話になった先生が小児歯科の教授だった事もあり、卒後の臨床研修は小児歯科で行うことに決めました。
歯科医師になって
臨床研修は一年間でしたが、思いどおりに仕事ができない自分に対し、苛立ち、落ち込む毎日でした。思えば、学生時代は大勢のクラスメートと共に授業を受け、与えられた課題に取り組んでいく、いわば、受動的な毎日を坦々と過ごしていました。しかし、歯科医になったとたん、先生と呼ばれる立場になり、患者さんと一対一で向き合い、能動的に振舞うことが必要になります。20代前半で、人間的にもまだまだ未熟だった私は、理想と現実の狭間に苦しみ、自分の力のなさを痛感し、自己嫌悪に陥っていました。研修が終わり、小児歯科専門のクリニックに就職してから、その思いはさらに強くなっていきました。そこには歯科衛生士や歯科助手という大勢のスタッフがいましたが、私よりも遥かに仕事ができる方ばかりでした。私はといえば、相変わらず診療に時間がかかり、患者様とのコミュニケーションも満足にできないような有り様で、周りに迷惑をかけていないだろうか、患者様やスタッフに信頼される歯科医になれるだろうか、そんな事ばかりを気にしていたような気がします。 就職して半年が過ぎようとしたある日、スタッフのひとりが私に「先生最近治療が上手になりましたね」と声をかけてくれました。私は溢れそうな涙を必死にこらえ「ありがとう」と答えるのが精一杯でした。とてもうれしい一言でした。それから、徐々に仕事に対して自信を持つ事ができるようになり、それと同時にやりがいや楽しさも実感できるようになりました。そして、歯科医になってよかったと心から思えるようになりました。
さいとう矯正歯科クリニックとの出会い
29歳の時、横須賀出身の主人と結婚し、神奈川県に引越して来ました。最初は早く子どもが欲しかったので、就職はせずに専業主婦の道を選びました。この専業主婦生活はとても快適で、パン教室やケーキ教室に通い、主人や母といろんなところに旅行に行き、デイトレに目覚め、たくさんの映画を見てと、有り余る自分の時間を楽しみ、夢のような毎日を過ごしていました。このまま専業主婦という選択肢もありかなと考えた時期もありました。そして、妊娠、出産、育児を経験し、子どもが一歳になる頃に、自分の将来について考えるようになりました。5年後、10年後の自分は何をしているだろう、そう考えた時、何も見えないことに愕然としました。歯科医としてもまだまだ半人前、今は仕事をがんばるべきではないだろうか、何のために今まで歯科の勉強をしてきたのか、そんな思いが沸々とこみ上げてきました。しかし、子どももまだ一歳になったばかり、母親の愛情が必要な時期ではないかと躊躇する気持ちがあったのも事実です。悩みに悩んだ末、子どものためにも、自分のためにも、今は仕事をしよう、仕事をしていても愛情は注げるし、何よりも子どもにとって誇れる母親そして人間になりたい、そういう結論に達しました。ありがたいことに、主人や主人の両親の理解を得る事ができ、また、育児のサポートもお願いできることになりました。そして、せっかく仕事をするんだったら、自分のやりたいことをしようと考えました。今まで小児歯科医療に従事してきた中で、むし歯の治療はできても、歯並びの治療はできない自分にもどかしさを感じていました。
矯正歯科へ就職しよう。そう考えた私は、早速インターネットで「矯正歯科、求人、神奈川県」を検索してみました。すると、一番最初に目に飛び込んできたのが、さいとう矯正歯科クリニックのサイトでした。そして、見学に伺い、クリニックの明るい雰囲気、院長のおおらかなお人柄にふれて、ここで働きたいという気持ちが強くなりました。 今、このクリニックの一員として、こうやって自己紹介文を書いていることをとても幸せに思います。
以上、私の自己紹介でした。長い間お付き合い頂きありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願い致します!!
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