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矯正治療の実態は?
このDVDをご覧になって、小冊子を読めば分かります。
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月〜土
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午前 10:00〜19:00
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日曜日
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午前 10:00〜12:30
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休診日
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木・日・祝祭日
※但し、月1〜2回は日曜診療致します
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住所
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神奈川県横須賀市久里浜1−5−1鈴栄ビル301
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TEL
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046(830)1388
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院長 斎藤伸雄をより知っていただくために |
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横須賀市追浜出身
横須賀市立追浜中学
横須賀市立横須賀高校
1990年神奈川歯科大学卒業
神奈川歯科大学矯正学教室
2医院の矯正専門開業医に勤務
1996年さいとう矯正歯科クリニック開業
日本矯正歯科学会 認定医
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 追浜が私の出身地!
昭和の日本が高度経済成長を突進している最中、斎藤伸雄は高度経済成長を支えた町、追浜で誕生しました。住んでいた場所は国道16号のすぐ近く当時高速道路もない横須賀で、最も多くの交通量があった道路だと思います。排気ガスや騒音だけでなく、半年に一度は交通事故の音が聞こえ、まさに自動車産業に囲まれた町といえるかもしれません。
しかしながら緑も多く、子供の冒険心を満足させるには十分な自然が多く残っていました。町の中心部には多くの商店や2つの映画館があり、にぎやかな町でした。
小学生時代
斎藤伸雄は小学校時代、非常に口数の少ない少年でした。更に、運動オンチ・成績もぱっとしないというありさまで、もちろんクラスでヒーローになるわけでもなく、とても地味な存在でした。幼少期は体が弱く、病弱な体質だったらしいのですが、小学校に入学する頃には、健康だけが取り柄の、口数の少ない少年に成長しました。
 小学生の斎藤伸雄!
それとは対照的なのが私の兄で、スポーツの勉強もできる兄で、学級委員を務めることもしばしばあるほどで、小学校当時から、そんな兄のことを尊敬していました。小学生時代夢中になったのは、なんとロック・ミュージック!兄の影響を受けたのですが、格好良く、あまりの圧倒的な音量、怒りを表現する音楽に男の世界を感じました(現在私はきわめて温厚な性格です)。
実をいうと私は小学校のころプロのギタリストになりたかったのです。ただ多くの子供でも思うように「なれるわけがない」という思いがあり、本気でプロのギタリストになろうと行動に移したことはありませんでした。
父親との思い出
父親は現在「株式会社ハイ・テクノ」という会社の代表取締役で、私の幼少期には久里浜近くの工場に勤務しておりました。事務所が電車から見ることが出来るので、私は京浜急行から見える父の事務所へ手を振るのが習慣になっていました。
父は本当に勉強熱心で、昭和40年代当時にアメリカなどにも頻繁に出張し、英語も堪能で、私はそんな父を大変誇りに思っていました。また厳しい父親というイメージとは正反対で、父は私に対して決して怒ることなく、いつもニコニコしていました(今も元気です)。
厳しく教育されたこともなく、父親の背中を見ながら私は育ちました。小学校時代、私はよく玩具を欲しがったのですが、父はなんでも買ってくれるという、子供にとっては「優しさ溢れる最高の父親」でした。
優秀な兄と
とても地味な私と好対照なのが私の兄です。兄は勉強やスポーツも優秀で、今では日本銀行という私のような人間にとっては雲の上の世界で働いております。
兄は一言で表現すると「努力の人」です。幼少時代はともかく、私が中学時代になると、自分はもう勉強では兄には勝てないことを自覚し、何でも出来る兄に対抗し、これなら勝てる分野を探していたように思えます。ロックを好きになるきっかけも兄で、歯科医師になりたいと思ったのも兄の友人の影響を受けたからです。
その兄から、私は努力することの大切さを学び、今の自分があるのは兄のおかげと思っております。
中学高校時代
中学になると私は憧れであったギターを手にしました。当時はフォーク全盛の時代、アコースティック・ギターが主流の時代でしたが、当然私が目指したものは「過激なロック・ギター」でした。中学生でしたのでロック・バンドを結成することもできずに、数人の友人とギターの練習に明けくれました。
スポーツが不得意の私はギターなら勝てると思いこみ、周りの友人達に尊敬される程度の腕前を持つに至りました。このように「好きな物」には徹底して努力をするのですが、自分が興味のないものは全く努力をしなかったので、勉強に関しては兄と比較すると惨憺たる状況でした。英語・数学・理科に関しては得意科目だったのですが、なにせ要領の悪い中学生でしたので、なんとか市立横須賀高校(現在の市立総合高校)に受かることが出来ました。
兄が県立横須賀高校出身だったので、すごく悔しい思いをしましたし、今でも「興味の湧かなかった国語・社会」を勉強してれば、と悔しい思いを感じることがあります。現在では、歴史や読書の魅力に取り付かれ、興味が湧かなかったのは単に自分の気持ち次第だったのかと深く反省しています。
 高校生の斎藤伸雄
高校時代には待望であったバンドを結成することが出来ました。当時ジャズ・フュージョンという音楽が流行になり、私の希望であったロック・バンドではなく、少しお洒落な歌のない音楽を演奏することになりました。ハード・ロックとは違い、繊細で集中力を要する音楽で、複雑なコード進行やメロディアスなギター・ソロを学ぶことが出来ました。
高校で出会ったのが、現在も作曲家として活躍している「藤田意作」http://www.myrtos.co.jp/index.html?url=http://www.myrtos.co.jp/online_shop/m_cd.htmlです。
彼から音楽の素晴らしさや演奏することの喜びを教えてもらうことができました。その藤田氏と一緒にバンド活動を行い、たった一回だけ、とある大学の文化祭で演奏することが出来たのです。残念ながら短いバンド結成期間でしたが一生の思い出に残り、私の人生にも深い影響を与えるバンドでした。
ところが肝心の勉強の方はいというと、私は高校の勉強に目的意識が持てず、まるで「尾崎 豊」状態でした。ただ試験のためだけに勉強していることにウンザリし、当然のごとく成績は最悪で、あげくのはてに教師からバカ扱いされ散々な思いをしました。
自分が悪いとはいえ当時の教師の態度には正直疑問を感じ、「このままでは俺は駄目だな」という負け犬意識が芽生え、何とか這い上がろうと意識し始めました。相変わらずギターに夢中でしたが、本気でプロを目指している友人を見て、自分のギター技術ではプロになれるわけがないとわかっていたので、進路を決断する時が来ました。
歯医者を目指そうとした理由
進路を決断する時、ただ何となく大学に行き、社会人になって、何となく年齢を重ねていくのが理想の人生なのかもしれない、そんな気持ちが強かったのです。でもそんな時、憧れていた兄の友人が歯科大学に進学し、そこでの勉強がとても厳しいらしいという噂が耳に入りました。もともと手先には自身があるし、理数系は得意科目だから、今から勉強すれば間に合うかもしれない!突然歯科医師になりたいという意識が芽生えました。ただ自分の勉強レベルでは、私立の歯学部を受験することが精一杯でしたので、母にそれを伝えました。しかしながら私立の歯学部はお金がとてもかかるという事実を初めて知ることになり、「お金を出してあげる」と母に言われた時は、一生両親を大切にしようと心に誓うことになりました。
また父が楽しく仕事をしている姿を見て、凄いなと思っていましたし尊敬もしています。父や兄のように仕事を楽しくやりたい、すきな仕事・やりがいのある仕事をしたいと・・・・・・.父親の背中を見て私は以下のように考えました。
●大きな組織よりも小さな組織が向いている
(父親の様に自分自身の力で、組織を作りたかった)
●手先が器用だったので、それをいかせる仕事がしたい
(兄に勝てる唯一の長所)
●憧れている先輩が歯科大に入ったことも大きく影響した
(ギターを始めたのもその先輩の影響)
今思えば、ギタリストを目指す感覚で、歯科医になりたいと思ったのかもしれません。単純に歯科医ってカッコイイ!というイメージでした。ただし、誰かに強要されたわけでもなく、ハッキリと自分自身の意志で、歯科医になりたいという気持ちが突然湧き出しました。
それからは大学を現役合格すべく、自分なりに猛勉強を始めました。それまでのぐうたら勉強生活を後悔しましたが、歯科医師になるために勉強しているという事実が私を突き動かし、これなら合格出来そうだと自分で確信を持てる程度にはなりました。しかし高校の授業などの勉強を全くしていなかったので、高校の成績は、相変わらず最悪でした。歯学部志望ということを担任の教師に伝えたところ、「受かるわけがない」と担任の教師はクラス中に言い回り、その声を聞いた私は「俺をバカにしている教師を見返してやる!」と自分自身を奮い立たせたのを覚えています。そして入学試験にはあっさり現役合格したのですが、入試の前日は高校の期末試験で、もちろん何も勉強していなかった私は入試試験後に教師に呼び出され、一人寂しく追試を受けるハメになりました(笑・・・)。
大学時代
 ギターは今でも続けてます
神奈川歯科大学に入学してからは、自分の本当にやりたい勉強が出来ると意気揚々し、毎日の勉強に励みました。そんなことは最初の学年だけで、進級するとともに勉強だけでなく遊びの方にも才能を発揮し始めました。
まずは当然のことながらバンド活動です。大学では軽音楽部に所属し、バンドを掛け持ちしギターを続け部長にまでなりましたが、歯科医師になるのが決定していたのでギターに打ち込むのは高校時代と比べてしまうと熱意は下がっていたように思います。
 オートバイと
大学入学まもなく現在歯科医とミュージシャンをしている「清水義央先生」(http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kenso/profile/index.html)と知り合いました。その関係でプロのミュージシャンの演奏を目の前で聴く機会が多くあり、その集中力と最高の技術を目の当たりにし、私には音楽の才能は無いと諦めがつきましたし、学園祭で、あのX-JapanのHideさんに演奏をしていただいたこともありました。その時感じたことは、やはりプロを目指す人間は、技術も努力も凄かったことです。
  レーサーも目指してました。
ギターだけでなくオートバイを購入し日本中を旅して回りました。さらにバイクだけでなくレーシング・カートでサーキットを走り、本気でレーサーを目指そうと思ったこともありました。勉強も遊びも本気で取り組んでいましたね。
最高の大学時代も終盤にさしかかり、歯科医師として歩み出さなければならない時がやってきました。矯正専門開業医になりたいと思ったのは、卒業を目前に控えたある講義がきっかけでした。それは名医と言われる先生が、口の中がボロボロの患者さんを綺麗に治療した症例発表で、講義そのものは勉強になりましたが、私は素直にこう思いました。
  大学卒業直前の斎藤伸雄
「なぜ、あそこまで放っておいたんだろう?」
「治療するのではなく、悪くならない様にできなかったのか?」
もちろん、入れ歯や歯周病・虫歯の治療は大切です。だけど私は虫歯のない綺麗な歯並びを作る歯科医師、すなわち歯列矯正医になろうと思いました。
神奈川歯科大学矯正学教室研修医時代
大学を卒業し、付属病院の矯正科での研修時代には、最高の先輩達と出会うことが出来ました。大学生時代には、私は一人で行動することが多く、あまり人付き合いが好きではなかったのですが、矯正学教室に所属していた優秀な先生達と揉まれることによって私自身かなり変わることができました。そして矯正歯科という分野の面白さに、必死になって勉強しました。また先輩の先生だけでなく、最高の患者さんとも知り合うことが出来ました。実際に、卒業直後に担当させていただいた数人の患者さんとは今でも付き合いがありますし、私が矯正専門開業医になったきっかけは、矯正治療を通じて、素晴らしい出会いがあったからだと思います。研修医時代は忙しいながらも充実した日々を送りました。
勤務医時代
研修生活を終え、矯正専門開業医での勤務医生活を踏み出しましたが、現実は理想とはほど遠いものでした。歯科医師として、学術的な技術を学びたかったのですが、単なる機械的な単純作業で、患者さんをこなしていくことだけで精一杯でした。そこで目にしたのは、患者さんを物のように扱う医院であり、患者さんと気持ちを通じ合うことなど、とてもできない状態でした。
ある痛がっている患者さんを診療していた時です。痛がっているので当然ゆっくり丁寧に治療を進めていましたが、勤務していた医院の院長は大きな声で「急いでくれないか!」と私とその患者さんに言いました。患者さんの気持ちを無視したその言葉に、私は急速にその医院に対するモチベーションが無くなりました。「理想と現実は違うのかな」そんな惨めな気持ちで追浜の夜の町並みを電車の中から眺めていたのをよく覚えています。
「本当に患者さんは矯正治療をしてよかったと思っているのだろうか?」
「患者さんの思っていることを聞くことが大切なのでは?」
「治療技術だけでは、治療はうまくいかない」
これらのことを考えると、そこの医院で3年間勤務しましたが、患者さんの気持ちも理解できない歯科医にはなりたくないので、退職し開業を考えました。
確かに勤務医時代を通じてテクニックは向上しましたが、私は何か物足りず、私の尊敬する先輩の医院に無理矢理押しかけ、働かせてもらいました。そこではスタッフや患者さんも楽しそうで、患者さんとのコミュニケーション・個性・気持ちを大切にしていました。院長の性格だけで、患者さんやスタッフもこんなにも違うのかと思いました。私はなるべく多くの医院を見学し、以下のような7つのポイントに気づきました。
1.いい矯正歯科医院は「笑顔・活気・誠意」がある医院である
2.患者さんの不安や悩みに、真剣に耳を貸している
3.いい矯正歯科医院は、患者さんをやる気にさせるシステムができている
4.院長先生がスタッフに対して、丁寧である
5.院長先生やスタッフが患者さんとよく話をしている
6.スタッフもよく教育されていて、顔がイキイキしている
7.治療技術の高い先生・スタッフは、人間性も高い
以上のことを大切に考え、1996年遂にさいとう矯正歯科クリニックを開業しました。
さいとう矯正歯科クリニック開業
 開業当初の斎藤伸雄
自分で歯科医院を開業してまず感じたことが、本当にやりがいのある仕事だと言うことです。第1に患者さんが素晴らしいことと、第2にスタッフにも恵まれたことです。開業当時は歯科衛生士の友人に声をかけ、何人かの衛生士に当院で働いていただくことになりました。
ただ残念なことに、友人の衛生士は次々と出産のために退職し、新規に採用が必要になりました。
妻・由美子との結婚
結婚し、妻と共にさいとう矯正歯科クリニックで働くことが出来ましたが、さいとう矯正歯科クリニックを久里浜で開業しなかったら、妻・由美子とは結婚してなかったと思います。医院の設計なども女性からの意見を聞き、取り入れる必要があったので、相談できる身近な存在が、妻・由美子だったのです。今でも思うことは「最高の妻だ!」ということで抱きしめたくなります。
仲田須賀子先生との出会い
 仲田先生加入当時
衛生士が次々に出産のため退職し、そろそろ募集を出そうかなと考えていた時です。この時に偶然にも「仲田須賀子先生」が大学を卒業し、矯正治療を勉強したいということで当院に見学に来ました。私は一目見て仲田先生の才能を見抜き「それならうちで働きなよ!」と半ば強引に勤務医としてさいとう矯正歯科クリニックのメンバーになってもらいました。
すると今度は私自身で歯科医師を育てるという新たな目標ができ、時間が許す限り、あらゆる技術を教えました。1年もすると仲田先生も矯正治療の醍醐味に目覚めたらしく、大学病院での研修を希望しました。残念ながら私は開業歯科医師にすぎません。矯正治療の技術を学ぶには、彼女は大学の矯正学教室で学ぶべきだということはわかっていましたが、優秀なスタッフだったので、このままさいとう矯正歯科クリニックに勤務して欲しいという気持ちが一杯でした。
でも仲田先生の将来を考え、大学での研修生活に送り出しました。この時は二度と仲田先生と一緒に働くことはないと思っていましたが、わずか2年後、さいとう矯正歯科クリニックに復活することになり、現在は仲田先生の笑顔なしには、さいとう矯正歯科クリニックは運営出来ない程の存在です。
スタッフを教育すること
歯科医院には、歯科衛生士という存在も欠かせません。しかしながら歯科衛生士の数は常に不足しており、募集を出しても就職希望者が極端に少ないのが現状です。
このような状況の中、さいとう矯正歯科クリニックでの歯科衛生士を教育し、医院の中心的な役割を担う存在にしたかったのですが、ここで私は初めての挫折を感じることになりました。私は医療に関わり仕事をするからには、勉強は必須と考えています。それも他人からいわれるのではなく、自分から率先して勉強するということです。私自身そのように考えていましたし、これまで勤務してきた歯科衛生も同じでした。
しかし新たに勤務していただいたスタッフは勉強する意欲がなく、あらゆることに関して上達が遅かったのです。ここで私自身のミスに気づくことができました。私は小手先の技術を勉強させるのではなく、社会人として何を学ぶべきなのか?人生を有意義に過ごすためには何をするべきなのか?を最初に教えなければならなかったのです。
残念ながらその衛生士とは良好な人間関係を築くことができず、私が教えようとするほど心が離れていったように感じました。
「こんなことは最後にしよう、この仕事が好きで、自分自身で興味を持ち、勉強し努力し続けるスタッフでなければ、さいとう矯正歯科クリニックには必要ない!」
このような思いを決意し、さいとう矯正歯科クリニックでは歯科衛生士の募集を続けることになりました。
最強のメンバー
近年では「後藤えり」というメンバーがチームに加わり、さいとう矯正歯科クリニックは現在最強のメンバーとなりました。
「後藤えり」は他の矯正歯科医院で3年間の勤務経験がありました。次の勤務先を決定するにあたり、さいとう矯正歯科クリニックのホーム・ページを読んで、わくわく楽しい歯科医院を目指していることに興味を覚え、募集に応募したそうです。やはり矯正歯科医院での仕事は楽しく、このまま続けて行きたかったそうです。半年間程、募集を出し続けた結果、後藤えりに巡り会うことができて、最高にラッキーでした。技術・人間性も文句なしの歯科衛生士です。
今後は、さいとう矯正歯科クリニックで治療を受けた患者さんから歯科医師や歯科衛生士が誕生する予定です。私達の治療を通じて歯科医療という分野で働きたくなったのなら、これ以上の幸せはありません。
患者さんから受けた感動
先日このようなことがありました。矯正装置を外す予定のKちゃんが来院しました。毎回のように、「装置を外したい」と言うのです。歯科医師の立場からいうと「早く装置を外してください!」と言われることは「手抜きをしてもいいから、早く外してくれ!」と言われているようなものです。もちろんそれは絶対出来ませんし、その子の将来を考えると突き放すしかありません。そして先日、やっと私の満足のできる結果となり装置を外すことになりました。
装置を外し、スタッフ全員で「おめでとう!」という言葉をかけました。そうしたらKちゃんは
「嬉しくて泣いちゃう!」
といい本当に泣き始めました。私や周りでお祝いしていたスタッフも感動のあまりもらい泣きしそうになってしまいました。
「性格的には明るくなり、クラスでも以前とは違って、みんなとつきあっているようです」「お化粧するのが楽しくなった」「治療前の自分とは全然違う」このように言っていただける機会が増えてきました。患者さんは単に歯並びが変わるだけでなく、前向きな気持ちで、努力して達成したことなど、その後の人生においても良い影響をあたえるんだな〜と最近考えるようになりました。
大学卒業後、必死に勉強し16年が経過してしまいましたが、歯科医になったことに関しては一度も後悔したことはありません。もちろん、楽しいことよりも、任された責任の重大さにプレッシャーを感じるのも事実です。それでも当クリニックのスタッフ・愛する妻・可愛い息子・患者さんの笑顔のため、精一杯努力していきたいと思います。院長になってみて、私の父親の気持ちも少しずつわかり始めました。子供と遊んでる時間がないのが私の最大の悩みです。
あきらめてしまったギタリストになる夢ですが、わたしは今でもバンド活動を行っています。
To be continued・・・・・・
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